表紙(左から):国宝「粉河寺縁起絵巻」和歌山・粉河寺/「不空羂索観音坐像」京都国立博物館/「千手観音立像」和歌山・粉河寺/重要文化財「菩薩半跏像」奈良・岡寺/秘仏「如意輪観音坐像」京都・頂法寺(六角堂)/「聖観音立像」滋賀・宝厳寺/「如意輪観音坐像」兵庫・圓教寺/「十一面観音立像」京都・醍醐寺/秘仏「如意輪観音坐像(鞘仏)」京都・頂法寺(六角堂)

 西国三十三所草創から1300年。これを機としてゆかりの深い京都の地で、特別展を開催いたします。今もなお、老若男女、国籍を問わず、人々をひきつける巡礼の魅力を、美しい観音菩薩の姿や各札所の寺宝を通じてご紹介します。観音信仰とともに守り伝えられてきた至宝の数々をご堪能ください。

国宝「粉河寺縁起絵巻」(部分)

国宝「粉河寺縁起絵巻」(部分) 
平安時代(12世紀) 和歌山・粉河寺

みどころ

みどころ①

西国三十三所の至宝が一堂に

1300年の歴史を持つ日本最古の巡礼路「西国三十三所」。その総距離は約1000キロメートルにも及び、すべての札所を巡拝するためには、歩いて数ヶ月かかります。本展は、「三十三所の至宝」が一堂に公開される、またとない機会となります。

みどころ②

国宝、重要文化財、そして秘仏も公開

本展では、33の札所が有する国宝、重要文化財など貴重な宝物が多数展示されます。寺外への出陳が初めてとなる「秘仏」も公開されます。

みどころ③

七観音が勢ぞろい

日本最古の巡礼所三十三札所は、閻魔大王のお告げを受けた徳道上人が人々を救うために定めたと伝わる観音霊場です。本展では、七観音(聖観音、十一面観音、千手観音、如意輪観音、馬頭観音、准胝観音、不空羂索観音)すべてのお姿をご覧いただけます。

展示構成

1
「説かれる観音」

『妙法蓮華経(法華経)』の普門品には、観音は33通りに姿を変え、諸々の悩みや苦しみから人々を救うと説かれています。こうした利益に基づき、古来より多くの人々の信仰を集めた観音は、一様ではなく、さまざまな姿で表されてきました。それぞれの観音には、より所となる経典が存在し、儀軌(ぎき)とよばれる規則には像容が定められています。いにしえの観音信仰を示す遺品をはじめ、観音について説く多様な経典などを紹介します。

重文「菩薩半跏像」

重文「菩薩半跏像」 奈良時代(8世紀) 奈良・岡寺

片脚を一方の脚の上に組み(半跏)、片手を頬に当ててものを思う(思惟)姿から、半跏思惟像ともよばれる。如意輪観音の化身とされる聖徳太子への信仰と結びつき、わが国ではこのような姿の像は如意輪観音とも考えられた。

2
「地獄のすがた」

 西国三十三所は、長谷寺の開基とされる徳道上人が仮死状態に陥ったさい、地獄で閻魔(えんま)大王より巡礼の功徳を広めるよう依頼されたことにはじまる、という説話があります。地獄からの救済は、現世・来世を問わず、人々が観音へと期待した利益ですが、一体そこはどのような場所であったのでしょう。六道思想に基づいて制作された「六道絵」、あるいは「餓鬼草紙」といった関連する作品から、先人がイメージした地獄のすがたを可視的に示します。

国宝「餓鬼草紙」(部分)

国宝「餓鬼草紙」(部分) 平安~鎌倉時代(12世紀) 京都国立博物館

執着を捨てられなかった者が死後に身を堕おとす、餓鬼(がき)の世界を描く。水を飲むこともできず苦しむ餓鬼のリアルな表現は、当時の人々が救いのない苦しみを切実に感じていた証拠。平安末期の末法思想に裏づけられた作品である。

3
「聖地のはじまり」

 西国三十三所の成立には、謎に包まれた部分が多く、なかなか確実なことは言えません。その中にあって、大きな役割を果たしたと伝承される人物として、徳道上人のほか、花山法皇や圓教寺の性空上人などがあげられます。彼らの姿を描いた肖像の紹介とあわせて、粉河寺の創立や本尊である千手観音像の霊験を描いた「粉河寺縁起絵巻」をはじめ、それぞれの寺院の由緒や歴史を説いた縁起類を紐解き、聖地のはじまりをたずねます。

「徳道上人像」(部分)

「徳道上人像」(部分) 江戸時代 万延元年(1860) 奈良・法起院

長谷寺の開基とされる徳道上人は、地獄で閻魔(えんま)大王より観音霊場三十三所の功徳を広めるように依頼され、よみがえると三十三所巡礼の利益を説いたと伝えられる西国巡礼の祖。

4
「聖地へのいざない」

 修行僧や修験者たちを中心に行われてきた西国三十三所巡礼は、次第に階層的な広がりをみせ、彼らに伴われるかたちで武士や一般庶民も行うようになります。こうした人々による信仰に根ざした参詣は、天変地異あるいは兵乱により、荒廃した堂舎を再建するうえで大きな力を発揮しました。新たなる巡礼者をいざなうにあたり、各寺院の歴史や功徳をわかりやすく説明した参詣曼荼羅や勧進状など、重要な役割を果たした作品を紹介します。

「施福寺参詣曼荼羅」

「施福寺参詣曼荼羅」 桃山時代(16~17世紀) 大阪・施福寺

槇尾山の伽藍を描く。天正9年(1581)に織田信長と対立し焼き払われたが、本図はその焼失直前の姿をとどめる。参詣曼荼羅は、寺院の財源確保のための勧進に用いられたと見られ、親しみやすい表現を身上とする。

5
「祈りと信仰のかたち」

 西国三十三所の札所寺院は、聖観音・十一面観音・千手観音・馬頭観音・如意輪観音・准胝(じゅんてい)観音・不空羂索(けんじゃく)観音のいずれかが本尊となっています。これら7種の観音が、六道思想の展開により生まれた六観音と一致するのは、観音霊場としての成立と関係するともいわれます。古来より今にいたるまで、貴賤を限らず、真摯な祈りをささげた多様な観音のすがたを絵画、そして彫刻を中心に辿ることで、信仰のかたちを追体験していただきます。

秘仏「如意輪観音坐像」

秘仏「如意輪観音坐像」 京都・頂法寺(六角堂)

建礼門院徳子(平徳子)が、治承2年(1178)6月27日に安産祈願のため寄進したとの伝承を持つ秘仏である。

6
「巡礼の足あと」

 西国三十三所の巡礼が階層的、さらには地域的な広がりを持つようになると、そこには別の側面も加わるようになります。行楽としての旅は最たるもので、さまざまな人々が集うようになり、活況を呈しました。それぞれの目的は違えど、本尊の観音に手を合わせて祈ることに変わりはなく、その営みが絶えることはありません。こうした巡礼の盛況とともに刊行された書物、または訪れた人々が実際に身につけたり、奉納した遺品にふれます。

「西国三十三所巡礼札」

「西国三十三所巡礼札」 室町時代(16世紀) 滋賀・石山寺

西国三十三所の巡礼者が参詣のおり、その証として納めた札。こうした札を納めた人々の中には、武士や一般庶民も多く含まれている。時代の経過とともに、巡礼が次第に階層的、さらには地域的な広がりをもったことがわかる。

7
「受け継がれる至宝」

 観音霊場としての西国三十三所は、平安時代の12世紀前半には成立していたと考えられています。しかし、歴史や宗派が一様でない各寺院には、「観音」あるいは「三十三所」といったキーワードだけでは語ることの出来ない、固有の寺宝が数多く伝えられてきました。これらを伝えるのは、時代や環境の変化と向き合わなければならないため、容易ではありません。先人たちの努力により、受け継がれてきた至宝の数々をご覧いただきます。

国宝「法華経一品経 観世音菩薩普門品第二十五」(長谷寺経のうち)(部分)

国宝「法華経一品経 観世音菩薩普門品第二十五」(長谷寺経のうち)(部分) 鎌倉時代(13世紀) 奈良・長谷寺

『法華経』二十八品をそれぞれ一巻として、金銀箔や砂子などで飾った料紙に書写する一品経。鎌倉時代前期を代表する装飾経で、長谷寺に伝わっていることから「長谷寺経」と呼ばれる優品。「観世音菩薩普門品」は行書で書写されている。